NPO法人尼崎市身体障害者連盟福祉協会のブログです。当連盟に関する様々な情報を提供します。
葉月「肺炎の後先」
肺は空気中の酸素を取り入れる大事な器官です。肺炎になると、吸気量が減って、必要な酸素が取り込めなくなります。そのために発熱があり、極度の疲労感と無気力感に襲われ、命にかかわる怖い病気です。乳幼児から高齢者まで年齢に関係なくみられます。
もう30年も前のことですが、大正13年生まれの女性が、医者に通っても微熱が続くといい、息苦しさを訴えて来院されました。呼吸は浅く、触診すると肩・頚から背部胸部が腫れぼったい様子。頚の左右から背中にかけ浅いはりとマッサージを施し、仰向けになってもらい、鎖骨の上下へ軽いはりをしたところ、呼吸が深くゆっくりになり、皮膚や皮下から腫れぼったさが引いていました。
この経験から初期の肺炎らしい症状にもはりを試みるようになりました。また、多くの患者さんの治療を通じて、肺炎後の症状改善や体調の回復にもはりと軽いマッサージが有効だと分かりました。
昭和5年生まれの私の兄は70代の頃、心臓病で専門医の治療を受けながらも、風邪を引くと呼吸が乱れ、夜は横たわることができず、布団を抱えるように座って眠っていました。
そんな時に胸や肩から背中にかけて浅いはりをすると、熱が下がり、息苦しさが和らぐのです。病院を受診すると「肺炎です、点滴をしましょう」といわれ、何日も通院していました。
つい最近も、70代の女性から元気のない声で予約の電話。いつもと違い、声に勢いがなく、発語もはっきりしません。治療院で話を聴くと、体調不良で入院していたとのこと。元気がないのは、肺炎による疲労感だったようです。触診すると頚から背中、鎖骨の上下の皮膚も皮下組織も腫れぼったく、リンパ鬱滞がありました。頚の右側から肩・背中へ軽微なはりをし、反対側にも同じような処置をしました。腫れぼったさがなくなり、息が深くなって声に張りが出てきました。本人も呼吸が楽になったと実感され、二人で喜び合いました。
病院・医院という「大船」だけでなく、はり治療という「小船」でこそ助けることができるケースもあるのです。
「2013年8月・鍼灸柔整新聞より」
神無月「肺のはたらき」
今回は、肺の調子を確認する指標を二つ紹介します。一つは、肺活量。力いっぱい空気を吸い込んだのちに、力いっぱい吐き出した際の空気の量です。大人の男性で3から4リットル、女性では2から3リットルです。肺活量が足りないと運動により早く息切れし、呼吸は浅く速くなります。もう一つは、呼吸の勢い。吐く息・吸う息は人によって勢いが違います。元気な大人なら一息で難なく吹き消すろうそくの火も、幼児やお年寄り、呼吸器や心臓に障害のある人ではそうはいきません。肺活量と呼吸の強弱に、呼吸機能の状態が表れるのです。
大きな肺活量、勢いのある深い呼吸は、肺の換気量にも関係しています。力いっぱい息を吐き出しても肺は空にならず、1リットル前後の空気が残留します。この残留空気は安静時にはもっと多くなります。残留空気を効率よく入れ替えることは、酸素をより多く取り入れることにつながるのです。
健康法の基本は、効率のよい呼吸法。腹式呼吸を身に付けましょう。一般に「女性は浅い胸式呼吸、男性は深い腹式呼吸」と言われますが、実際は混合型です。腹式呼吸のために私がおすすめしたいのは、「3呼1吸の呼吸」です。はじめに、正座して三つ指をつくようにゆっくり体を前に倒しながら、「はっはっはー」と3段階で息を吐き切ります。すると苦しくて自然と息を一気に吸い込むことになりますので、吸いながら体を起こしましょう。これが3呼1吸法です。ゆっくりと一度に5回ほど繰り返し、これを毎日2、3セット行います。いつのまにか腹式呼吸が身に付いています。ひと時のくつろぎにもなり、日々のストレス解消にも役立ちます。是非、試してみてください。
「2013年10月・鍼灸柔整新聞より」
水無月 「呼吸器とはり」
「普通感冒」(風邪)は、季節に関係なく誰でもかかりやすいありふれた病気です。しかし、症状はいろいろで、年齢や体力のあるなしによって表れ方が一人ひとり違ってきます。今回は声枯れについて、わたし自身の体験と治療例を記します。
先月の10日ごろからのどにムズムズ感があり、12日には会議中に声が枯れだし、その後、のどの痛み、せき、たんが出はじめました。のどや後ろ頚にモーラステープを貼ったり、はりをしたり、のど飴を口にしたりしました。特に夜間や治療中のせきに困りました。しかし、気分も体調も普通で、食欲も普段通り。月末になると症状は声枯れだけになりました。今年になってわたしの周りに声枯れを訴える人が3人もいました。さて、過去の治療例を思い出しながら、話を続けます。
昭和2年生まれのIさんは大阪万博のころに毎週おみえになっていた会社社長。飲酒に喫煙、夜遊びと、なかなかやんちゃな人でした。ある時ひどい風邪を引き、声枯れとせきが出て、のどや胸でひゅうひゅうぜえぜえと喘鳴がしていました。肩・頚から腰を治療した後、仰向けになってもらい、のどから胸骨の両脇に聴診しながら浅いはりをしました。治療が終わるころにはせきも喘鳴も半減しました。また、この人がいとこを連れてこられました。しゃがれ声が唯一の症状で、気管支症状も全身症状もありません。1日おきに3度治療した後、はりの適応症ではないことを告げました。Iさんから彼は喉頭癌と聞かされました。
声楽家の女性が風邪引き後に声が枯れ、紹介されて来院されました。肩・頚のこりをほぐし、のどから胸へのはりと、軽いマッサージを行いました。この人は1回ごとに症状が軽くなり、4回目の治療の後、歌えるようになったと嬉しい報告をいただきました。発声・発語の聞き分けも大事な診察術なのです。
「2013年6月・鍼灸柔整新聞より」
皐月 「隔週治療10年」
1960年生まれの女性Sさんの初診は、2003年2月24日。腰痛でおみえになり、それ以来、現在も隔週で来院されています。主訴の腰痛は急性痛ではなく慢性の疲労性腰痛で、どちらかといえば予防的治療、ボディーケアです。 Sさんの家族は、重度障害のご主人と、老人施設職員の息子さんの3人です。Sさんは昼夜を問わずご主人を見守り、介助するかたわら、週に2、3日専門学校の講師を勤めておられます。勤務の日は、ご主人に介護者がついているとのことです。
Sさんへの治療は、「今日はどんな具合ですか? 特につらいところがありますか?」の声かけで始まり、「いつもと同じようです」という返事を聞いて治療を開始します。はりを中心に軽い後按法を加え、左右の側頭部から頚、肩へ移り、うつ伏せになってもらい、背骨の際と、背筋を仙骨部まで触診し、所見に従ってはりと手技を施します。最後に仰向けになってもらい、のどや眉間へのはりと軽い指圧、さらに徒手による頚の牽引をして終わります。
初診から10年、Sさんの体にも年齢的な変化がみられます。主訴の腰痛はご主人の介護疲れが原因であり、背部から腰、お尻にかけてのこりや痛みは慢性的なもので、「疲れは早く、治りは遅い」という加齢現象でした。時にみられる声枯れなど、のどの症状は講義によるもので、パソコン作業の目の疲労も重なります。 Sさんは肥満気味ですが体力充分。おおらかで屈託なく話し、気持ちよくほがらかな笑い声。毎回楽しく会話してくださいます。こまめに草木を育て、料理も好き。毎日の犬の散歩も続けておられます。治療は、毎回同じような部位へ、同じようなはりと手技を施しますが、はりの刺し入れ方、刺す速度、刺し入れ後の術は同じではありません。与える刺激の度合いは触診所見に従い、毎回手の感覚で加減しなければなりません。教科書どおりのつぼや反応点はないのです。治療は所見に素直に応じることが必要なのです。
『点字読む 指がとらえる つぼどころ』
「2013年5月・鍼灸柔整新聞より」
「呼吸器とはり(その2) 副鼻腔炎
「風邪は万病のもと」といいます。わたしが書き留めている「健康便り」の1991年から、風邪のあとの蓄膿症について、わたしの体験を記します。
年の暮れの20日に23歳の息子がいつもより早く帰宅。昼食後しばらくして吐き気を感じだし、あげくだし。
その後も吐き気・寒気・震えがあると言い、体温は39度を超えていました。早速、葛根湯を飲ませ、応急手当てとして手足の指の間にはりをして、電気温布を背中に当てて寝かせました。翌朝は熱が下がり、寒気はなく、吐き気もほとんど治まりましたが、体中がだるいとのことでした。自前の治療をすることにして、頚から肩、背中から腰までツボを選んで軽いはりを行い、お腹と足にもはりをしました。夕方には腹が減ったと言い、わたしたちと食事を取りました。
その1日か2日後に家内が風邪を引きました。賀状の宛名書きで疲れたためのこり風邪でした。頭痛・頚肩のこわばり、声がれと咳が主な症状でした。葛根湯を飲み続け、はりは2度行っただけでしたが、持ち前の体力のおかげでそれ以上はひどくならず、長引かずに年を越してくれました。
問題はわたしでした。大晦日の夕方、1年最後の患者さんを治療していると、突然、くしゃみ・鼻水が出はじめました。元日と2日はなんなく過ごせました。ところが、3日と4日はくしゃみ・鼻水・咳・痰、それに寒気で大変でした。葛根湯を増量して飲み、4日の夜に2度汗を取りました。その結果、咳と痰は残ったものの気分がよくなり、5日から治療を始めることができました。しかし、風邪は順調に抜けきりませんでした。
咳と痰が減ってもう大丈夫かなと思った10日過ぎに、鼻汁に悪臭がしだしました。急性・化膿性の副鼻腔炎、蓄膿症を起こしたのです。また、葛根湯を日に3度まじめに飲みながら、眉間・頬・顎の下・のど・ 側頚部に自前のはりを朝夕続けました。結局、悪臭が消えて、風邪の気が抜けたのは、立春になったころでした。
他の病気が風邪の症状で始まるケースが少なくありません。髄膜炎やギランバレー症候群など怖い病気もあります。はり治療の適不適を見極めることが大切です。
「2013年2月・鍼灸柔整新聞より」
睦月 「呼吸器と鍼1」
私たちがこの世に生まれて産声を上げた瞬間から、息の根が絶える時まで胸にある左右の肺は拡張と収縮を繰り返し、休むことなく呼吸運動を続けています。健康な成人の肺はどのぐらいの空気を吸い込み、吐き出しているのでしょうか?
ひと息で400ccの空気を吸い込むとして計算してみましょう。
1分間に18回呼吸すると、400×18=7200「約7リットル」、1時間では、7×60=420リットル。
1日では、420×24=1万80リットル。これを家庭用の灯油缶で換算すると、肺は毎日560缶分の空気の入れ替えをしていることになります。そして、この空気から体に必要な酸素を取り込み、体内にできた炭酸ガスを排出しています。ところで、このような大きな仕事をしている肺には自力で拡張したり、収縮することはできません。実は、胸郭特に肋骨が広がり、横隔膜が収縮する胸郭運動によって肺は受動的に広げられたり、縮んだりしているのです。まず、空気を吸い込むときには肋間筋の働きで肋骨が引き上げられ、胸が広がり、同時に横隔膜が引き下げられて胸郭が広くなり、肺は拡張します。次に、息を吐くときは肋骨は重みと筋の弾力性によって自然に下がり、横隔膜は腹圧によって押し上げられ、胸は狭められます。これが無意識の安静時呼吸の仕組みです。これに対して私たちが息遣いを意識したり、努力して呼吸をする場合があります。一番わかりやすいのは運動や労働により息遣いが大きく早くなり、また、精神的な過度の緊張や高ぶりでも呼吸は速く浅くなります。心配のいらない一時的な生理反応です。
さらに、身体的・精神的な病気により、息苦しくなったり、呼吸困難になる場合があります。
これは医師の手当てが必要な場合です。針治療は病的症状に対しても充分効果を発揮します。
次回には治療例を交えながら記したいと思います。
「気をわずらえば身を侵し、身をわずらえば気を減ず」 「2013年1月・鍼灸柔整新聞より」
師走 『ゴール・イコール・スタート』
人生マラソン2012のゴールが間近です。この1年をいろいろと振り返りつつ、次なる2013のレースのスタートに備えて体作りと心積もりを行う時期となりました。 このごろは 時間のかかる 探し物―古希路のわたしたち夫婦の日常風景です。子育てをしながら、わたしの目となり手足となって支えてくれた家内は、年とともに視力が著しく衰えてきました。今では何をするにもおっくうがり、生活サイクルも昼夜が逆転しているようです。今年の春には入院と点滴通院。わたしも今年は2度目の腰椎骨折を経験し、いまだに後遺症が残っています。ただ、11月に右下の親知らずを抜くと食事が楽になり、「転ばぬ先の杖」と考えて11月から降圧剤を飲み始めました。また、幸い、公助としてホームヘルパー・ガイドヘルパー、共助としてボランティアの方々・友人・知人の支援、そして90歳の姉をはじめとする兄弟や子供たちの助けを受け、自立生活をなんとか続けています。 最近は、「まだ治療を続けていますか」と古い患者さんからしばしば電話がかかってきます。「はい、現役ですよ」と返事をします。また、お隣さんが「先生、長い間顔を見なかったけどお元気ですか」と声をかけてくださったので、「朝の掃除機の音がしている間は元気だと思ってください」とお答えしました。「支え合い いたわりあいの 老いの日々」です。
さて、何年も来院していた患者さんがすっかり遠ざかり、なんの連絡も寄こさないことがあります。
わたしから「どうされていますか、お元気ですか?」と声をかける勇気はありません。以前、50年あまり
毎月のようにおみえになっていた患者さんに様子をうかがう電話をしたところ、なんとも重々しい声で迷惑げに応対されたことがあり、それ以来、遠ざかっている患者さんへの連絡を控えるようになりました。
それでも健康を案じてしまう患者さんが幾人もいます。その代わりというわけではありませんが、来てくださる患者さんは喜んでお迎えするように努めています。 「健康は宝、暮らしの資本、健康は日々の養生から、養生の始まりは日々の慎み」といいます。新年を迎えるにあたり心がけたいことは、「息・食・動・静・想」。すなわち、よい呼吸、上手な食べ方、適度な運動、十分な休養、そして、静かな思い・平穏な心です。
これらは他人には代わってもらえない、自分自身でするべき行いです。
「2012年12月・鍼灸柔整新聞より」
本日より健康コラムを始めさせていただきます。
現在は事務局がブログを担当しているのですが、頭が固いのか、固い内容の物ばかりになってしまっています。これではいけないということで改善策を考えていたところです。
理事長の堀口が健康コラムを毎月作成しているので、それを掲載していただくことにしました。よろしくお願いします。
霜月 『腰部椎間板ヘルニア』
医療技術の進歩により病気の診断や治療法が年ごとに変わってきました。1960年代から80年代にかけて腰痛で病院・医院を受診すると、大半の人が「椎間板ヘルニア」と診断されていました。主な治療法は鎮痛剤の注射、服薬、湿布、電気療法と牽引で、これらの治療法で治らない場合には手術が行われていました。わたしの治療院での80年ごろの2人の治療例を記してみます。
30歳の主婦Mさんは、椎間板ヘルニアの手術を受ける日が決まっていましたが、
母親の勧めで治療にみえました。訴えでは急性腰痛、ぎっくり腰のようでした。腰椎部の所見をとり、腰筋外縁のしこりにやや深いはりをしてマイクロ波を10分照射。このような治療を2日続けると腰痛は軽減しました。Mさんは日にちまで決まっていた手術を断り、現在も元気で働いておられます。
椎間板ヘルニアの手術のため入院していた近所のすし屋の長男が、父親の勧めで病院を抜け出して治療にみえました。長男は20歳代でスポーツマンらしく大柄でがっちりしていました。はりで脊椎の直側と腰部の起立筋の硬いコリを丹念にほぐし、うつぶせで肩から背中、背中から腰・足へマッサージをして治療を終えました。翌日、翌々日の計3回の治療でうまく痛みが取れ、仕事に復帰しました。今は50歳代半ばで奥さんと居酒屋を営み、元気に働いておられます。
この2人のケースはわたしにとってはクリーンヒット、忘れられない経験です。
椎間板ヘルニアという病名は90年代になってからはほとんど聞くことがなくなり、その代わりに「脊柱管狭窄症」という病名が多く聞かれるようになりました。同じように、心臓神経症はパニック障害と呼ばれるようになりました。「歌は世につれ、世は歌につれ」といわれますが、時の流れに伴って、わたしたちの身の回りのいろいろな事柄が実態を変えたり、忘れ去られたりしています。わたしの治療歴50年余りを振り返ってみても、暮らしの変化、訪れてこられる患者さんの訴えや症状の成り立ちがずいぶんと変わりました。めまぐるしく移り変わる現実にどこまでついていけるのか、まもなく
喜寿を迎えるわたしは、心ひそかに心配しています。1日でも長く元気でいて、
1日でも長くはり師でありたいと願う今日この頃です。
「2012年11月・鍼灸柔整新聞より」
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